フットベアの思考マラソン

サブ4を目指す市民ランナーが走りながら世の中について考えたことの記録

フットベアが走り始めた理由。少なくとも最後まで歩かなかった。

さて、人生2回目のマラソンがあさってに迫ってきた。

記念すべき第一回の記録はネットタイムで4時間44分34秒。目指していたサブ4を大きく下回るものであった。残念ながら今回も十分なトレーニングがつめたとは言い難いので、よくばらずに4時間20分を目標とした。(サブ4※は今年の秋に達成予定。。。)

 ※フルマラソンを4時間未満で走ること

 

ところで、なぜ突然マラソンを始めたのかをまわりの人に良く聞かれる。自分でもよくわかっていなかったのだけど、少し整理がついてきた。

 

理由①前からずっとやってみたいと心の奥底で思っていたこと

恥ずかしながら(恥ずかしいのか?)高校生の頃に村上春樹にどっぷりつかっていたフットベア。彼のエッセーにもくまなく目を通していた。ところどころにマラソンについて書かれていたことが、マラソンに対する憧れみたいなものをなんとなく抱かせていた。大学を出てからは、そんなに熱心な読者ではなくなり、いったんマラソンのことは忘れていた。

もう7年前くらいになるだろうか。「走ることについて語るときに僕の語ること」という、走ることについて村上さんが語ったエッセー集が出た。これを読んで走りたい熱は高まったが、それでも走り始めるには至らなかった。

 

②サブ4がチャレンジとしてちょうどいいハードルだった

マラソンはやってみたらおそらく走りきれるだろうという思いがあった。なのでマラソンを走ることは自分にとってチャレンジではなかった。しかし、去年の1月にサブ4という市民ランナーの目標があるのを聞いた時に、「これはちょっとやそっとの頑張りでは達成できなさそうだが、かなり頑張ればいけるかもしれない。」とふつふつとチャレンジ精神が湧いてきた。 

これが球速150キロの球を投げるとか、100メートル10秒切るとかだと到底がんばる気にならないが、サブ4というのがちょうど良かった。

 

つまりは、マラソンをやってみたいと深層心理で思っていたところに、調度良いチャレンジが設定されて、マラソンを走り始めたというわけだ。

 

先ほど紹介した村上さんの本の中にこんな一節がある。

もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。

村上春樹

作家(そしてランナー)

1949-20**

少なくとも最後まで歩かなかった

今のところ、それが僕の望んでいることだ。

これは、人生の最後までチャレンジをやめないという宣言だ。フットベアも、かなり頑張らないと達成できないことに常にチャレンジしていきたい。

前回のマラソンでは、この言葉を胸に絶対歩かないぞという強い気持ちでのぞんだが、後半は歩きまくった。人生はそんなに甘いものじゃない。。。

今日のラン 0キロ 0時間0分0秒

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)