文章の巧い下手は重要?果たしてイケダハヤト氏はウンコを漏らすべきなのか?
今日の思考の発端は、イケダハヤト氏のブログ
紙のライターよ、「文章の巧さ」を誇る暇があるなら「マネタイズ」を頑張りなさい : イケハヤ書店
である。
このブログに対して、小田島隆氏が相当怒っている。
イケダハヤトさんによれば、私のような存在は「有名媒体の金魚の糞」で「下請け的発想」の滅び行く人種なんだそうで、よくもまあ好き放題に言ってくれるものですわ。 → http://t.co/MAw0EdEk4c
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2014, 3月 16
イケダハヤトさんは、《ほんっと、「文章の巧い下手」とかどうでも良すぎてウンコ漏らしそうです。》と書いています。
いっそ漏らしてみると色々なことがはっきりすると思いますよ。
http://t.co/MAw0EdEk4c
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2014, 3月 16
というわけで、なんで怒っているのかを考えてみた。
イケダハヤト氏が言いたいことを要約すると、
・文章が巧くても、それで飯が食えなければ意味がない
あれ、論点を箇条書きしようとしたら一行で終わってしまった。まあいいや。
彼の主張を音楽に照らし合わせてみると、彼の言っていることが妥当かどうかよくわかるのでは?と思って、ちょっと考えてみた。
・どれだけ歌がうまくても、売れなきゃ意味がない。
・どれだけギターがうまくても、売れなきゃ意味がない。
・どれだけ曲が良くても、売れなきゃ意味がない。
ミュージシャンは、楽器を練習したり、良い曲を書いている暇があったら、マーケティングに精をだしなさいと氏は言っているのである。
別の視点で捉えてみる。記事の内容を曲、文章を演者にたとえてみる。
いくら曲が良くても、演者が下手だと曲のよさはいきない。最近のいまいちなカバー曲はその典型だ。逆に徳永英明さんは、最近の自分の曲はいまいちだけど、カバーすると抜群に仕上げてくる。
本にたとえると、有名人が出している本のほとんどはゴーストライターが書いている。有名人の強烈なエピソードをプロの書き手が書くことによって、わかりやすく伝えることができている。もし本人が書いていたら、文章が下手すぎて内容が全然伝わらずにまったく面白くない本が出来上がっているだろう。
ここまで書いてきてわかったのは、イケダハヤト氏の主張にはいろいろと問題があって、説得力にかける。
①作品の良さよりもマーケティングのうまさが重要だとしていること
②マーケティングがうまいことと作品の良さに相関関係があるかのように主張していること
③コンテンツ(曲)と文章力(演奏)をごっちゃにしていること
物書きはコンテンツと文章力の両方が大事だと思いますけどね。マーケティング力もあればそれにこしたことはないけど、それって全然別の能力ですから。
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