茂木健一郎さんの提起する「予備校つぶれろ問題」を考える。アメリカをまねすりゃいいってもんじゃないでしょうが。
先日、著名な脳科学者である茂木健一郎さんが、突然のように大学受験予備校に対する怒りのツイートを連続投稿した。以下はその一部
つぶれろ、駿台、つぶれろ、代ゼミ、つぶれろ、河合塾、つぶれろ、東進ハイスクール、つぶれろ、ありとあらゆる、偏差値を計算する、くされ外道予備校ども、みんなつぶれろ! 日本の10歳、11歳、12歳、13歳、14歳、15歳、16歳、17歳を、偏差値奴隷から解放せよ!
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 3月 8
その時は、なんでそんなに予備校に怒ってるのか、よくわからなかった。翌朝「ぶっつぶせ、偏差値入試」と題して連続投稿されて少し理由がわかった気がするので、少し長いが以下に抜粋する。
ぶへ(1)半年前くらいだったか、東京都内の小学校で話した。5年生、6年生が体育館に集まって。それで、「この中で中学受験する人〜」って聞いたら、半分くらいが手を挙げた。「じゃあ、偏差値って知っているよね〜」「うん〜」「そうか、じゃあ、これから、偏差値について、クイズだすね〜」
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 3月 8
ぶへ(2)「君たちさ、アメリカに、ハーバード大学ってあるじゃない、有名だよね。ハーバード大学の、偏差値って、どれくらいだと思う?」「え〜わからない〜
」顔を見合わせる子どもたち「80くらいかな〜」「お前、そんなもんじゃないよ、90くらいだよ」とか、子どもたちが言っている。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 3月 8
ぶへ(3)「じゃあ、答えを言うね〜 ハーバード大学の偏差値は・・・・・ありません!」「え〜っ、どういうこと〜」「ペーパーテストの点数だけで、決めているのは、日本だけなの! ハーバードは、それぞれの人が、どんないいところを持っているかを見て入学者決めるから、偏差値計算できないの!」
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 3月 8
ぶへ(4)子どもたちが熱心に聞いている。「だってさ、数学がものすごくできるオタクがいるかもしれないでしょ。高校から小説書いて有名な子もいるかもしれない。オリンピックでメダル獲るようなアスリートがいるかもしれない。それぞれ、得意なところ、伸びているところが違うよね!」
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 3月 8
ぶへ(5)「偏差値が計算できるということは、みんなが同じテストを受けて、その点数を比較できるからじゃない。でも、本当は、一つのテストじゃ、それぞれの得意なこと、決められないよね。数学と、小説と、オリンピック、一つの数字じゃ比べられない。だから、ハーバードには、偏差値ないんだよ。」
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 3月 8
ぶへ(6)「へえ〜」という顔をして聞いている子どもたち。恐らく、通っている日能研かSAPIXか四谷大塚か知らないが、試験受けさせられてお前の偏差値はいくつで、それだとこの中学だとか、洗脳されているのだろう。あほらしい。そのあほらしい制度が、日本の子どもたちを萎縮させている。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 3月 8
ぶへ(7)先生たちに聞くと、まず、中学受験する子としない子の間に壁ができるし、受験する子の中でも、どの中学受けるかということで上下感が生まれるし、中学受験しても、結局受からずに公立中学に通って気まずい思いをする子もいるという。10歳とか11歳で、そういう不条理を経験するのだ。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 3月 8
ぶへ(8)百歩譲って、受験でトレーニングすることがその先の人生で役に立つことだったらいい。しかし、xとかy使わないで鶴亀とか旅人だとか、ああいう人工的な算術をやって、何の意味があるのか。そんなことするくらいだったら、とっとと微分積分やプログラミングを学んで先に行った方がよい。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 3月 8
ぶへ(9)大学入試もそう。ある人が、入試のために奈良の興福寺の境内のどこになんという建物があるかとか覚えたとか言っていた。意味わからない。ペーパーテストの単一基準による偏差値入試は、自由な能力の開発を妨げる点において逸失機会凄まじく、日本の国益から見て巨大な損失と断ぜざるを得ぬ。
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 3月 8
どうやら、予備校に怒っていたのではなくて、偏差値偏重教育に怒っていたらしい。予備校が全部つぶれたとしても、状況は改善しないが、それは茂木さんもよくご存知で、偏差値のメタファーとして予備校をやり玉に挙げたということなのだろう。
フットベアが気になったのは、海外の諸制度を見習って、抜本的に改革をすれば、良い方向に進むと決めつけているこどだ。
アメリカの制度は確かに個性が尊重され、一部の抜きんでた才能を生み出すかもしれないが、同時に大量のバカを生み出す制度でもある。日本の制度はその真逆だ。
夢の教育制度など存在しない。制度を抜本的に変えれば万事うまくいくというのは幻想なのだと思う。現状制度をどうやったらよくできるかを考えるの現実的なアプローチだ。
個性を伸ばす教育をすべきというのは、フットベアもおおいに賛成なので、日本教育の平均点の高さを維持しつつ個性を伸ばす仕組みが作れないかを考えてみた。
①小学4年生までは一律同じ教育。
この時期は個性を見抜く期間の位置づけ。とりあえず一通りやらせてみないと、何が得意かはわからない。
②小学5年生から必修と選択に分ける。
全員が学ぶべきレベルは必修科目で、個性を伸ばす部分は選択科目にする。選択科目の候補は、算数、理科、プログラム、作文、デザインなど。英会話とか体育は選択科目にはいらない。
③必修科目のレベルを二段階くらい落とす。
選択科目の時間を捻出するため、教える範囲を徹底的に絞る。科目も絞る。英語とか全員にいらないっしょ。
これだけでも相当な改革で、いざ実行しようとすると色々と問題が出るはず。セブンイレブンみたいに一部の店舗(学校)で試行して良さそうな策を全体に適用するのが良いと思う。(すでにやってる気もする)ただ教育の難しいところは、施策の結果が出るまで(子供が大きくなるまで)時間がかかることですね。これについては良い案思いつかないや。
今日のラン 9.94キロ 1時間0分20秒